名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年11月21日

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千葉県 > 源頼朝上陸地(みなもとのよりともじょうりくち)

城と館

再起・再生の地

源頼朝は打倒平家をかかげ伊豆で挙兵しますが、石橋山の戦いで敗れ、海路安房に逃れ、後ろの旗立山を目印としてここに上陸。
 八王子の宮・神明神社に再起祈る。上陸してからわずか14日間で、敗軍の将頼朝は、房州の豪族を味方にして大勢力となり、 ついに平家を滅ぼし、鎌倉幕府を開きました。再起・再生の地です。

『説明板より抜粋』

源頼朝上陸地

 治承4年(1180)8月、伊豆で挙兵した源頼朝は、23日、平家方の大庭景親との石橋山の戦いに敗れ、真鶴より海路小舟で 脱出し、安房国へ向かいました。「吾妻鏡」によれば、「29日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を相具し、扁舟に棹さし安房国 平北郡猟島に着かしめ給う。北条殿以下人々これを拝迎す」とあり、上陸地点の猟島が現在の鋸南町竜島とされています。頼朝は ここで先着の北条時政、三浦義澄らと合流し、再起を図りました。当時房総には、下総の千葉常胤、上総の上総広常、安房の安西景益、 丸信俊ら源氏恩顧の豪族が多く、頼朝が房総での再起を選んだ理由と考えられています。
 房総一の兵力を誇っていた上総広常のもとへ向かうべく、外房の長狭(鴨川市)へ進んだ頼朝一行は、9月3日、平家に味方する 地元の豪族長狭常伴を一戦場で撃破。ひとまず安西景益の館(南房総市池ノ内)へ入り、各地の豪族へ使者や書状を送り見方を募り、 情勢を見極めます。その間、洲崎神社(館山市)、丸御厨(南房総市丸山)などへ足を運び、13日、安房を進発して兵力を加えつつ 房総を北上、鎌倉へと入りました。東国の豪族たちを糾合し、平家を滅ぼし、鎌倉幕府という武家政権を樹立した源頼朝再起の一歩はここから始まったのです。

『源頼朝上陸地説明より』

■源頼朝上陸地
源頼朝上陸地

全体


源頼朝上陸地説明

再起・再生の地説明


住所千葉県鋸南町竜島165−1
時間
休日
拝観料
駐車場
2014年9月現在


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