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− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月20日

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福岡県 > 多々良浜古戦場

城と館

足利尊氏の戦場。



多々良浜古戦場

 京都の合戦に敗れ、九州に逃れた足利尊氏は、宗像大宮司らの援軍を得て、建武3年(1336年)多々良川右岸に陣どり、肥後(現在の熊本県)の菊池武敏率いる九州勢と戦いました。
当時、この付近一帯では激戦が展開されましたが、尊氏側が勝利をおさめました。その後、尊氏は余勢せのままに京へ攻め上り、室町幕府を築きました。

『多々良浜古戦場』板説抜粋

■多々良浜古戦場

多々良浜古戦場

説明

兜塚

兜塚説明

 福岡流通センターの一角を占めるこの地は、古来「花園の森」と称せられ、南北朝時代の多々良浜合戦における戦死者を祀った兜塚の故地である。
元弘三年(1333)鎌倉幕府を倒して建武の中興に功労があった足利尊氏は、新政への不満から叛旗を翻したが、新田義貞、楠正成、北畠顕家らに敗れ、大友・島津・少弐らの勢力を恃んで僅か一千騎で九州に西下してきた。
 これを迎え撃つ朝廷方の菊池武敏・阿蘇惟直らは大軍をもって北上し、延元元年(1336)3月2日、多々良浜において決戦を挑む。結果は、折柄、北からの春嵐や水軍松浦党の謀反によって、菊池側の大敗に終り、尊氏、再び東上して中央の権力を恢復し室町幕府を開く端緒となった一戦であった。
 諸書によれば、この合戦の犠牲者は数千人に及んだというが、いつのころからか鎮魂のための兜塚がこの地に建てられ、毎年れんげの花咲くころ附近の人々の善意による祭祝が行われてきた。

『兜塚由来記 』抜粋


住所福岡県福岡市東区多の津1丁目20
時間
休日
拝観料
駐車場
2013年4月現在


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