名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年9月23日

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神奈川県 > 芭蕉の句碑(ばしょうのくひ)

城と館
東海道

江戸時代の俳聖、松尾芭蕉

 俳聖 松尾芭蕉は、元禄7年(1694)5月、江戸深川の庵をたち、郷里、伊賀(現在の三重県)への帰途、川崎宿に立ち寄り、 門弟たちとの惜別の思いをこの句碑にある

  麦の穂をたよりにつかむ 別れかな

の句にたくしました。
 芭蕉は、「さび」「しおり」「ほそみ」「かろみ」の句風、すなわち「蕉風(しょうふう)」を確立し、同じ年の10月、大阪で、

  旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

という辞世の句をのこし、51歳の生涯をとじました。
 それから130年余後の文政13年(1830)8月、俳人一種(いっしゅ)は、俳聖の道跡をしのび、天保の三大俳人のひとりに数えられた 師の桜井梅室(さくらいばいしつ)に筆を染めてもらい、この句碑を建てました。

『芭蕉の句碑』説明より

芭蕉の句碑

 京急八丁畷駅前に松尾芭蕉の句碑があります。
元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸深川の芭蕉庵をあとに故郷伊賀上野へ向かいました。芭蕉を見送り に来た弟子たちは、名残を惜しんで六郷川(多摩川)を渡って川崎宿に入り、このあたりまで来ました。 そして別れを惜しんで弟子たちと句を詠みあいます。

『日進町町内会館』説明より抜粋

■芭蕉の句碑
芭蕉の句碑

外観

説明

芭蕉の句碑と川崎宿絵図
 


住所神奈川県川崎市川崎区日進町
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


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