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神奈川県 > 縁切り榎とわかれ橋 (えんきりえのき と わかればし)
淵辺義博伝説
護良親王の殺さなかったとの伝説がある。
| 縁切り榎とわかれ橋 |
南北朝時代の伝説の地。淵辺義博は後醍醐天皇の皇子護良親王の殺害を主人から命じられましたが、
代わりの首で主人をごまかし、親王を淵野辺の地(龍像寺裏山)にしばらくかくまっていました。
やがて、親王を奥州石巻(宮城県)に落ちのびさせるため、淵辺義博は境川沿いの榎の下で妻子と縁を切り
境川の橋の上で別れを告げて旅立ったといいます。後年、この榎を「縁切り榎」、橋を「わかれ橋(中里橋)」
と呼ぶようになりました。
『縁切り榎とわかれ橋(中里橋)』説明より
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■縁切り榎とわかれ橋
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縁切り榎とわかれ橋 |
| 住所 | 神奈川県相模原市中央区東淵野辺2丁目30 |
| 時間 | - |
| 休日 | - |
| 拝観料 | - |
| 駐車場 | - |
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| 2016年4月現在 |
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