名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年4月20日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 藤沢一里塚 (ふじさわいちりづか)

城と館
東海道
御城印

東海道53次、日本橋から12番目の一里塚

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。

藤沢一里塚

 かつて、このあたりの道路の両側に一里塚がありました。一里塚は、主要な街道の一里(約4キロメートル)ごとに江戸幕府が 設けたもので、旅程の目印として利用されていました。崖上の高さまであった江戸時代の東海道を掘削改修しれのが現在の道路で、 一里塚も崖上にありましたが、今は何も残っていません。
 左図(下左図)は、往時の面影を伝える史料の一つです。画面上部の道が東海道、くの字に曲がるところに遊行寺が描かれています。 その右手に「一りずか 榎三」と記され、街道の両側に植木のような描写があります。今の遊行寺坂より遥かに急な坂道で、 その坂の上に遠くからでも分かりやすいように、盛土されて榎が植えられていた様子がうかがえます。急坂の上、榎の木かげで 一休みする旅人の姿が浮かんでくるようです。

『一里塚跡』説明より

■藤沢一里塚
一里塚付近

天保12年(1841)版『東海道分間絵図』

説明


住所 神奈川県藤沢市西富1丁目9
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年2月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.