名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年3月29日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 藤沢御殿跡 (ふじさわごてんあと)

城と館
東海道
御城印

徳川家の将軍が泊まる場所

 江戸時代のはじめ藤沢宿には、本陣がなく遊行寺やそのほかの寺院も将軍や大名が泊まるには十分でありませんでした。 そこで、慶長元年(1596)ころ、藤沢公民館の北よりのところに、約6千坪もの広さを持つ将軍の御殿(宿舎)が 建てられ、徳川家康をはじめ秀忠・家光が泊まっています。御殿や宿場は、御殿の南にあった陣屋の代官に管理されましたが、 やがて門構えや玄関・書院などを備えた本陣・脇本陣が出来ることで使われなくなり、天和2年(1682)ころには廃止 されたようです。

『藤沢御殿跡』説明(旧)より

藤沢御殿跡

藤沢御殿は慶長元年(1596年)、徳川家康が上洛の際に使用する目的で築かれた宿泊施設で、家康を含め二代将軍秀忠・ 三代将軍家光が利用したことが記録から知られています。しかし将軍が上洛しなくなると、この施設は利用されなくなり 五代将軍綱吉の時代には廃絶したとかんがえられています。元禄11年(1698年)に作成された藤沢御殿跡絵図をみると、 御殿の規模は東西106間(約193m)、南北62間(113m)で水を張った堀に囲まれ、土塁が廻らされていたことがわかります。

『藤沢御殿跡』説明より

■藤沢御殿跡
藤沢御殿跡

外観

説明

絵図
 


住所神奈川県藤沢市
時間
休日
拝観料
駐車場
2015年1月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.