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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年4月20日

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神奈川県 > 引橋(ひきはし)

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新井城の橋跡

戦国時代に北条早雲により落城した、新井城の橋

引橋

 横須賀市の衣笠城を中心にして栄えた三浦一族は、三浦義澄の孫泰村が時の執権北条時頼と仲たがいとなり、 いわゆる宝治合戦がおこり、一族は滅びましたが、義澄の弟佐原十郎義連の系統が残り、その孫、盛時から八代 目の時高が永享10年(1438年)新井城を油壷に構築し、本拠を三浦に移しました。  この時高は世継ぎの問題から養子の義同と争い、明応3年(1494年)新井城で自殺するに至ったとの説が あり、三浦の城主となった義同は当時小田原を根拠とした北条早雲の勢力と対決、平塚市伊勢原市の両市にまた がる岡崎城、逗子市小坪の住吉城と各支城で敗退、最期のたのみを新井城に託して守りを固めました。ここ引橋 はそのときの大手、つまり外敵防御の第一線であったといわれ、谷間に橋を掛け渡し、敵が攻め寄せたとき、そ の橋を引いて防いだところから引橋の地名がおきたと伝えられています。

『引橋』説明より

■引橋
引橋

 

 

 

 




住所神奈川県三浦市南下浦町金田
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休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


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