名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年1月24日

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後北条氏
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神奈川県 > 北條早雲之像 (ほうじょうそううんのぞう)

城と館
東海道

戦国時代の魁

小田原城奪取の際の、火牛の計の銅像

北條早雲之像

 北條早雲公(伊勢新九郎長氏のち宗瑞、早雲庵。法名・早雲寺殿天岳瑞公)は、戦国時代に相模、武蔵、上総、 下総、安房、常陸、上野、下野の関八州のほか、伊豆、駿河に勢威を及ぼした小田原北條氏五代の祖である。
 『北條記』によれば、明応4年(1495)伊豆韮山から箱根を越えて小田原に進出した時、牛の角にたいまつを結んで 大軍の夜襲に見せかけた、いわゆる「火牛の計「の戦法を用いて大森氏を討ち破ったという。その後小田原は、96年間にわたり北條氏の城下町として繁栄し、東国一の都市に発展した。
 終生伊勢姓を名のっていた早雲公の出身地は、今日と、あるいは備中、あるいは伊瀬ともいわれている。一時、室町幕府に随身していたが、のち駿河へ下って今川氏に身を寄せ、そこで 卓抜な才知と果敢な行動力で頭角をあらわし、やがて伊豆、相模の二国を支配する大名になった。そして民政によく配慮をしながら、周到な計画性をもって国造り、町づくりをすすめたという。 小田原城には嫡男の氏綱公を住まわせ、自身は伊豆にあって背後の守りをかためていたが、永正16年(1519)8月15日、88才の天寿を全うして韮山に没した。 戦国武将としてはめずらしい長寿であった。また北條姓は二代氏綱公から用いられた。
 早雲公は、東国の戦国時代の幕を切って落とした一代の風雲児と評され、一般には乱世を生き抜いた猛々しい武将という印象を与えている。しかし、伝来の北條家の 家訓「早雲寺殿二十一ヶ条」において、早雲公は、身を慎み、礼を重んじ、質素倹約を旨とすべきことを説き、学問、歌道に親しむことを奨励している。実際は聡明な 教養人であり、また公私にわたる日常生活においても、つねに細心の注意を怠らなかった老練な苦労人でもあった。
 菩提寺金湯山早雲寺は箱根湯本にあり、当初は早雲公、氏綱公の二代をまつっていたが、その後、氏康公、氏政公、氏直公をも加え、北條五代の霊を合祀している。

『北條早雲公略伝』より

■北條早雲之像
北條早雲之像

2016年5月

2007年1月


住所神奈川県小田原市 小田原駅前
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年5月現在


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