名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年11月15日

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神奈川県 > 生麦事件碑(仮移設場所) (なまむぎじけんひ)

城と館
東海道

文久2年(1862年)、幕末の事件

薩英戦争の発端となる幕末の事件

生麦事件碑(仮移設場所)

 文久2年8月21日(西暦1862年9月14日)、勅使大原重徳を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩島津久光 の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人4名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人1名を殺害、 2人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩英戦争を引き起こしました。
 明治16年(1883)、鶴見の黒川荘三は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し 遭難碑を建てました。

 文久二年壬戌八月二十一日英国人 力査遜(リチャードソン)此処に殞名す
 乃ち鶴見の人黒川荘三所有の地なり  荘三余に其事を誌さんことを乞う
 因て之が為に歌う、歌ひて曰く 君此の海ゼンに流血す
 我邦の変進も亦其れを源とす  強藩起って王室振るう
 耳目新たに民権を唄う 擾々たる生死ダ疇か聞いて知る
 万国に史有り君が名を云う  我れ今歌を作って貞ビンに勒む 君其れ九原に含笑せよ
 明治十六年十二月   敬宇中村正直撰

『生麦事件碑(仮移設場所)』説明より略訳

■生麦事件碑(仮移設場所)
生麦事件碑(仮移設場所)


説明

仮移設場所 案内図

生麦事件参考館 案内図


住所 神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目14
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


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