名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年12月16日

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神奈川県 > 小田原一里塚 (おだわらいちりづか)

城と館
東海道

東海道53次、日本橋から20番目の一里塚

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。

小田原一里塚

 見附とは、城の枡形門に設けられた見張番所であって、武器を用意し昼夜番士が詰めて警戒にあたる場所であるが、本城より外濠城門を示す場合が多い。
 小田原城は、天正18年(1590)の豊臣秀吉との小田原合戦の際には、町ぐるみ堀や土塁で囲まれていたが、江戸初期にこの構造を壊して東海道を 通す際に、枡形が作られた。小田原城から江戸に向かう出口であったため、江戸口見附と名づけられた。
 また、ここは江戸から20番目の一里塚があった場所でもある。
 慶長9年(1604)江戸幕府将軍徳川家康は、息子秀忠に命じて、東海道、東山道、北陸道に、江戸日本橋を起点として一里(36町・約4キロ)ごとに 塚を造らせた。塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル)四方であった。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とする とともに、夏季における木陰の休息場所とした。
 天保年中の相模国風土記稿には、「江戸口の外南側にあり、高六尺五寸、幅五間ばかり、塚上榎樹あり しが、中古槁れ、今は松の小樹を植ゆ、古は双コウとなれり。けだし街道の革(あらた)まりし頃、一コウは海中に入しならん。これより東は小八幡村、西は風祭 村の里コウに続けり」とされている。

『江戸口見附並びに一里塚』説明より

■小田原一里塚
一里塚

歩道橋より望む

旧東海道(奥歩道橋左、一里塚)


住所 神奈川県小田原市浜町4丁目24
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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