名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月27日

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神奈川県 > 大庭城

城と館
東海道

平安末期に石橋山の戦いで大将を務めた大庭三郎景親が居城したのが始まりといわれる

室町時代に上杉氏家臣太田道灌が改築し、永正9年(1512)北条早雲が攻略し天正18年(1590)まで玉縄城の支城となるが、その後廃城となる。

大庭城

 大庭城は、平安時代の末期(12世紀末)、大庭荘を本拠としておこった関東平氏の雄、大庭氏の拠点であったと伝えられますが、 明らかな記録はなく、室町時代中頃(15世紀後半)になってて、扇谷上杉定正の執事太田道灌が、本格的な築城を行ったとされています。
 その後、上杉朝良のとき、北条早雲に攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれました。そして、天正15年(1587)、小田原北条氏が 豊臣秀吉に滅ぼされ、大庭城は、廃城となったようです。
 現在残されている土塁・空掘などの城址の構えには、小田原北条時代の改修があったものと考えられえますが、雄大でかつ綿密に設計されていたことは、 築山、裏門、二番構、駒寄などの地名からもしのばれます。

『大庭城板碑より』

■大庭城
大庭城址

大庭城址之碑

説明板

大庭城址公園入口

全体図



外観



 平安後期は大庭景親の城として有名ですが、戦国時代では太田道灌が改修し、北条早雲が落とした事で知られております。 また、手前交差点の舟地蔵の逸話が戦の悲しさを伝えております。 尚、大庭城址公園の中央に大きな「大庭城址」の碑と空堀手前に、城の由来の説明板があります。 桜は見事で地元の名所になっており、その時期は駐車場が使用できません。また、藤の花も綺麗です。



舟地蔵

舟地蔵説明


地蔵尊の台座が舟型になっていることから舟地蔵とよばれています。その昔、北条早雲が大庭城を攻めた時、付近一帯は沼地で、なかなか攻め入ることができませんでした。北条方は沼近くに住む老婆から 引地川の堤を切れば沼は干上がることを聞き出しましたが、秘密漏れを防ぐため老婆を切り殺してしまいました。 その結果、北条方は、ようやく城を攻め落とす事ができましたそうです。舟地蔵は、殺された老婆を供養するため建てられたという言い伝えがあります。

『舟地蔵板碑より』



住所藤沢市大庭字城山5,230番1
時間
休日
拝観料
駐車場有(10台程度)
ホームページ藤沢市HP 「藤沢を知る「大庭城」
2012年1月現在


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