名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年7月17日

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神奈川県 > 和田義盛旧里碑(わだよしもりきゅうさとひ)

城と館
東海道

鎌倉幕府、初代侍別当

三浦義明の嫡男、杉本義宗の子で三浦一族の武勇を誇る

和田義盛旧里碑

 鎌倉武士の栄枯盛衰の典型的な例は和田一族であるといわれています。一族を率いた和田義盛は、鎌倉幕府創建の 功労者、半島の豪勇三浦大介義明の孫に生まれ、当三浦市初声町和田を領したことから和田氏を名乗り、武勇はこと のほか勝れ、弓矢にかけてはこの右にでる者がない程でした。
 頼朝挙兵に参加したとき、義盛は34才でしたが、以後大いに活躍、鎌倉建府の大立物でした。その功によって 最高職の侍所の別当に任ぜられ、頼朝、頼家、実朝の三代にわたって忠誠をつくしたが、退潮する源氏に替って天下 をねらう北条氏とことごとに対立するようになり、ついに北条義時の挑発と策謀にのり、いわゆる「建保の乱」を起 しましたが、同志と信じていた同族の三浦義村の北条方への寝返りもあって、建保元年(1213年)5月4日、鎌 倉由比ヶ浜で北条氏のため滅されてしまいました。
 時に義盛67才、この石碑は武将和田義盛の在所と思われるこの地に、郷土の武人として、悲運の最期を偲び、 その武勇をたたえて大正10年3月に建立されました。

『和田義盛の碑』説明より

■和田義盛旧里碑
和田義盛旧里碑

外観

八雲神社




住所神奈川県三浦市初声町和田 八雲神社境内
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


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