名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年9月24日

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神奈川県 > 源頼朝公落馬地

城と館
東海道

征夷大将軍 源頼朝の落馬の地

建久9年(1198)12月27日に相模川橋の法要供養から鎌倉への帰途に落馬したと伝えられている。

源頼朝公落馬地

 源義広、義経や行家の亡霊が現れてにらみ合いになり落馬したと伝えられている。

■源 頼朝公 落馬地
源頼朝公落馬地
建久九年(1198)戌午12月27日
 将軍源頼朝公、稲毛重成の亡妻元子、追善供養のため造らるる、相模川橋の法要供養に臨席の、頼朝公が鎌倉の館へ帰途、 八的ヶ原(辻堂)に差しかかりし時、突然落馬する難に遭遇する。
 落馬地は京・鎌倉往還(三浦藤沢信用金庫辻堂支店駐車場前)「保暦間記」に「建久九年の冬、右大将(頼朝)殿 相模川の 橋供養源氏・義広、義経、行家己下の人々の怨霊現じて、将軍の目を見合せり」と記され、八的ヶ原とは辻堂の地を指している。
 源平物語り関係の書物には、将軍頼朝公は怨霊が目に現じて、落馬したと記述されているが果たして真相は。 頼朝公だけしか知る人はいない。
 今を去ること八〇九年前、この地にて頼朝公は落馬し、意識喪失し急遽鎌倉の館に護送された。その後も昏睡状態が続き、 一月十日頃には一時回復し、京都の九条兼実宛「今年必ズ、シズカニノボリ他ノ事沙汰セント思ヒタリケリ、万一事存ノ外ニ候」と と書状を認めた後に再発し、
建久十年己未(一一九九)一月十三日 薨去 享年五十三歳

郷土史家 大石静雄(文責)

平成十九年丁亥(二〇〇七)十二月二十七日 設置 辻堂駅前町内会

『源頼朝公落馬地板碑より』


住所藤沢市辻堂二丁目17−1
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