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− 郷土を旅する歴史団  − 2018年7月20日

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長崎県 > 清風亭跡

城と館

坂本龍馬、後藤象二郎、お元、故縁の地



清風亭跡

 慶応3年(1867)1月頃、幕末の志士・坂本龍馬が、土佐藩士・溝渕広之丞と松井周助の斡旋により、土佐藩参政・後藤象二郎と会談を行った「清風亭」という料亭が、この場所にありました。龍馬と象二郎は仇敵同士でしたが、この会談で意気投合。以後共同して政治活動にまい進することを約束し、同年4月には海援隊が成立、10月には大政奉還が実現しました。このことから、この「清風亭会談」は幕末史上の重要な出来事のひとつに挙げられます。なおこの会談には、後藤象二郎の計らいで、長崎の芸妓・お元も同席していたといわれています。お元の名は、大江卓の追憶談「長崎見聞」に龍馬馴染みの芸妓として記されています。
 清風亭は、土佐藩士・佐々木高行らの日記にもしばしば登場しており、土佐藩とは関係深い料亭でした。また、明治初年、大隈重信が長崎から上京する際には、送別の宴が開かれています。幕末頃には吉岡兵助という人物が主人をつとめ、従来、12畳の部屋と8畳の部屋が1室ずつあったといわれますが、同料亭で使用された食器の箱書には吸物膳40客、小菜皿100枚とあることから、もっと大きな料亭であったとも考えられます。長い間、正確な場所は不明でしたが、大光寺(鍛冶屋町)の過去長や明治初期の地図などから、平成21年にこの場所(旧榎津町65番地、現在の万屋町5番11号一帯)が特定されました。

『清風亭跡 板碑より抜粋』

■清風亭跡
清風亭跡


住所長崎県長崎市万屋町5-10
時間
休日
拝観料
駐車場
2013年10月現在


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