名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年10月21日

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静岡県 > 曳馬城

城と館

室町時代の城

今川氏が築いたとも云われている。

曳馬城

 鎌倉時代の浜松は、「ひきま(ひくま)」と呼ばれる町でした。現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しました。「船越」や「早馬」はこの頃の地名です。
 戦国時代、この町を見下ろす丘の上に引間城が築かれます。歴代の城主には、尾張の斯波方の巨海(こみ)氏・大川内氏、駿河の今川方の飯尾氏などがおり、斯波氏と今川の抗争の中で、 戦略上の拠点となっていきました。この時代の浜松には、同じ今川方で、少年時代の豊臣秀吉が初めて仕えた松下加兵衛(頭陀寺城主)がいました。松下氏に連れられて、秀吉は引間城を訪れています。
 徳川家康が最初に居城としたのもこの城です。元亀3年(1572)、武田信玄との三方ヶ原の戦いに、家康は「浜松から撤退するくらいなら武士をやめる」という強い覚悟で臨みましたが、 引間城の北口にあたる「玄黙(元目)口」へ撤退したと言われています。このころまで引間城が重要な拠点だったことがわかります。
 その後、城主となった豊臣系の堀尾吉晴以降、浜松城の増改築が進むにつれ、引馬城は城の主要部から外れ、「古城」と呼ばれて米蔵などに使われていました。 メイジ9年、旧幕臣・井上延陵が本丸跡に家康を祭神とする元城町東照宮を勧請し、境内となっています。

『引間城本丸跡』説明より

■曳馬城
曳馬城跡碑

元城町東照宮

曳馬城外観(東照宮外観)

曳馬城跡碑(2014/8)

元城町東照宮(2014/8)
徳川家康公・豊臣秀吉公


住所 静岡県浜松市中区元城町111−2 (東照宮)
時間 −
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駐車場 −
2017年4月現在


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