名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年10月18日

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静岡県 > 井伊谷城跡

城と館

井伊氏の城
 井伊谷城はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。標高約115mの山頂に、単郭式の曲輪が築かれています。 山頂の北半分は自然の地形を残し、南半分は平らに均されています。曲輪の周りには土塁がめぐり、南側と西側に出入口をもちます。 南側の出入口は大手に、西側の出入口は搦め手に相当します。大手口の両側には土塁が高く築かれており、防御を固めています。 井伊氏の本拠地は井伊谷城とその麓にあった城館に加え、最終的な詰め城である三岳城(井伊谷城の北東2kmに所在)で構成されていました。
 江戸時代の記録によると、井伊谷城は「御所の丸」と呼ばれていました。南北朝の動乱期(1336〜1392)に、南朝方の拠点として 宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を擁した場所と関連づけられていたことがうかがえます。  

『井伊谷城跡』説明より

井伊谷城跡

 井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田など)を治めました。 南北朝の動乱期(1336〜1392)には、この地に宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を迎え、南朝方の活動拠点としました。
 戦国時代には当地の支配権をめぐって、今川、武田、徳川の各勢力が争い、当主である井伊氏は大きく翻弄されました。
 とくに、永禄5年(1562)に井伊直親が謀殺された後は適齢の男子がなく、井伊氏は存亡の危機を迎えました。この時に、城主として ふるまったのが、女性領主、井伊直虎です。天正3年(1576)、直虎は直親の子である虎松(のちの井伊直政)を徳川家康に引き合わせ、 井伊氏再興の道を開きました。

『井伊谷城跡』説明より

■井伊谷城跡
井伊谷城跡

本丸

本丸より望む

虎口(大手口)

井伊谷城跡入口

駐車場より

本丸説明板

本丸遺構説明板

入口説明板

住所 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字城山(井伊谷城跡城山公園)
時間 −
休日 −
拝観料 −
駐車場 駐車場(引佐協働センター 乗用車60台、無料)
2017年4月現在


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