名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年12月17日

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静岡県 > 犀ヶ崖古戦場

城と館

戦国時代、武田と徳川との古戦場跡

犀ヶ崖(さいががけ)。三方原古戦場の1つ。

犀ヶ崖古戦場

 犀ヶ崖と呼ばれる範囲は、はっきりしないが、この付近から下流450メートルの間に、急な崖が連続している。 この付近では、幅約30メートル、両岸とも深さ10数メールの絶壁をなす。元亀3年(1572)12月22日、 徳川家康は、三方原において武田信玄に一戦を挑んで敗け、浜松城に逃げ帰ったが、その夜犀ヶ崖付近で徳川方が、 地理に暗い武田方を急襲して、この崖に追い落としたと伝えられる。崖上の宗円堂には、この戦いによる両軍の死者の 霊が祀られており、その霊を慰めるため、毎年遠州大念佛が行われる。静岡県指定史跡。

『犀ヶ崖』説明より

■犀ヶ崖古戦場
犀ヶ崖古戦場


旗立ての松跡


■本多肥後守忠真顕彰碑
顕彰碑

 この碑は、本多肥後守忠真の忠義を称して、第17代本多子爵により明治24年に建立されました。
 本多忠真は、徳川家草創期を支えた徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将です。
 本多忠真は、三方原の戦いで武田軍に大敗した徳川軍の中にあって、撤退に際し殿(しんがり)を買ってでました。 道の左右に旗指物を突き刺し、「ここから後ろへは一歩も引かぬ」と言って、武田勢の中に刀一本で斬り込み、39歳を もってこの地で討ち死にしたと伝えられています。
 忠真の子、菊丸は父の命により家康を援護し浜松城に無事退却しましたが、父の最後を前にし友が次々と死んでゆくのを 見た彼は無常を感じ、父の遺骸を三河に葬ったあと出家の道を歩むことになりました。
 この碑には本多家が代々松平家・徳川家に仕えたこと、本多忠真が数々の戦いで功績を残したことが記されています。
 また。碑の題字「表忠彰義之碑」は、徳川家16代家達公によって書かれています。

『本多肥後守忠真顕彰碑』説明より


住所 静岡県浜松市中区鹿谷町25−10
時間 9:00〜17:00
休日 月曜日(祝日の場合は、翌日)、祝日の翌日、12月29日〜1月3日
拝観料 無料
駐車場 有
2017年4月現在


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