名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年1月23日

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静岡県 > 関戸吉信之墓

城と館

北条早雲に攻め滅ぼされた深根城主・関戸播磨守吉信

足利茶々丸の家臣にて、この地で自刃したと伝えられる。

関戸吉信之墓

 この塔は、関戸吉信の墓と伝えられている。室町時代末期のもので、笠の隅飾突起がやや外側へ反っている高さ70センチメートル程の 小さな塔であるが、基礎、塔身、笠、相輪は当時のままの形で残されている。石材は大堰の通称権現山や沢田等の石切場が近かったため、 そこから出る軟質凝灰岩を使って造られている河津町に残る完全な形の宝篋印塔として代表的なものである。
 関戸吉信は、下田市堀ノ内にあった深根城という山城の二代目城主であった。吉信の父播磨守宗尚は、 山ノ内上杉憲実が応永26年(1419)8月に関東管領に就任すると、奥伊豆の鎮護のため派遣され、深根城を築いた。
 延徳3年(1491)10月に北条早雲は伊豆攻略をはじめ、奥伊豆の土豪は皆降伏したが関戸吉信は降伏せず10月6日深根城は 早雲の軍勢に攻め込まれました。吉信の妻条奈の前は敵中を切り抜け、菩提所龍巣院裏山へのがれた。吉信は長男と共にのがれ、 坂戸三玄寺前の虚空蔵堂まで来て長男はここで自刃、吉信はさらにのがれ、天城街道沿いのこの地で自刃したと伝えられる。 里人は武将の士を悼んで宝篋印塔を建て、冥福を祈ったという。  

河津町教育委員会

『町指定文化財 関戸吉信の墓 説明板より』

■関戸吉信之墓
関戸吉信之墓(宝篋印塔)


  
住所 静岡県賀茂郡河津町梨本
時間
休日
拝観料
駐車場
2009年2月現在


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