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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年4月27日

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東京都 > 釜屋跡 (かまやあと)

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幕府御用宿 釜屋 跡

新選組が滞在した宿

釜屋跡

 この地はもと「釜屋」のあったところです。釜屋は南品川にあった建場茶屋のひとつで、東海道を上り 下りする旅人たちは、ここで休息したり、見送りや出迎えの人たちと宴会をひらいたりしました。大へん 繁盛したので、のちには本陣のような構えに改築しました。それで俗に「本陣」とよばれたりしました。
 幕末動乱の世情を反映して慶応3年(1867)には連日のように幕府関係者が休んだり宿泊した 記録が残っています。永井尚志(若年寄格)をはじめ、奉行、代官、歩兵隊々長、旗本達が数多く利用しました。
 有名な新選組副長土方歳三も、隊士を連れて、慶應3年10月21日に休息しています。
 また、慶應4年1月(1868)の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在しました。

幕府御用宿『釜屋跡』説明より抜粋

■釜屋跡
釜屋跡

説明

東海道保土ヶ谷宿の松


住所 東京都品川区南品川3丁目6
時間
休日
拝観料
駐車場
2015年7月現在


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