名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月27日

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東京都 > 六郷一里塚跡 (ろくごういちりづかあと)

城と館
東海道

東海道53次、日本橋から4番目の一里塚

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。

六郷一里塚跡

 当社は、多摩川の清流に南面する古い八幡宮であり、六郷一円の総鎮守として、ひろく崇敬されています。
 社紀によれば、源頼義・義家の父子が、天喜5年(1057)この地の大杉に源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、 石清水八幡に武運長久っを祈ったところ、士気大いにふるい、前九年の役に勝利をおさめたので、その分霊を勧請したのが、 当社の創建とさえています。
 文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定のみぎり、祖先の吉例にならって戦勝を 祈り、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。今なお境内に残る大きな手水石は、このとき頼朝が 奉献したものであり、神門前の太鼓橋は景時の寄進と伝えられます。
 天正19年(1591)11月、徳川家康は 18石の朱印地を寄進し、慶長5年(1600)六郷大橋の竣功に際しては、神威をたたえて祝文をたてまつり、当社の 神輿をもって渡初式を挙げました。また、鷹狩りの途次にもしばしば参詣したと史書にみえます。当社が巴紋とともに 葵紋を用いている所以です。
 江戸時代には六郷八幡宮とも呼ばれていましたが、明治5年(1872)に東京府郷社に列し、 動年より六郷神社と改称して今日に至っています。
 なお当社には、毎年1月7日に行われる流鏑馬(東京都無形民俗文化財)と、6月の祭礼時に少年少女が奉仕する獅子舞が 伝承されています。

『六郷神社由緒』説明より

 社殿正面の道が、慶長6年(1601)に幕府の制定した古い東海道で、松並木が続いていました。これが西方に付け替えられた のは元和9年(1623)といわれます。このとき、神域を囲っていた溝堀の一部を埋めて、脇参道ができました。
 往還の両側に並んでいるのは八幡塚村の人家で、脇参道の鳥居からやや南寄りに、日本橋から4里(15.6km)の一里塚と、その前 に高札場が描かれています。東方はるかに連なるのは房総の山々で、右手には川崎大使の屋根も見え、辺り一面は水田です。
 社殿の上の方にひときわ大きくめだっているのは、今も境内にある塚で、八幡塚あるいは神輿塚と呼ばれ、竹林に囲まれていた 様子がうかがえます。かつて六郷六か村の中心をなし、当社の宮本でもあった八幡塚村という村名は、この聖なる塚に由来します。
 近代に及んで東海道は第一京浜国道となりますが、脇参道付近から六郷橋へ向かう道筋の一部は、旧東海道の幅員を比較的よく残しています。
 ちなみに『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』は、天保7年)1836)に刊行された地誌です。

『江戸名所図会』説明より

■六郷一里塚跡
六郷神社

東海道跡の碑

六郷神社由緒


住所 東京都大田区東六郷3丁目10−18
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


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