− 郷土を旅する歴史団 −
2019年2月17日
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高輪大木戸跡(たかなわおおきどあと)
城と館
東海道
江戸の南の入口
江戸時代は海岸の景色が見える月見の名所
高輪大木戸跡
高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門にたてられたのが起源である。享保9年(1724)に 現在地に移された。現在地の築造年には宝永7年説・寛政4年(1792)など諸説がある。
江戸の南の入口として、道幅約6間(約10メートル)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止とし、 治安の維持と交通規制の機能を持っていた。
天保2年(1831)には、札の辻(現在の港区芝5−29−16)から高札場も移された。この高札場は、 日本橋南詰・常盤橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の6大高札場の1つであった。
京登り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ、付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる海岸の景色 もよく月見の名所でもあった。
江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、海岸側に幅5.4メートル、長さ7.3メートル、高さ3.6メートル の石垣のみが残されている。
四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として 重要である。震災後「史蹟名勝天然紀念物保存法」により内務省(後文部省所管)から指定された。
『高輪大木戸跡』説明より
■高輪大木戸跡
高輪大木戸跡
説明
住所
東京都港区高輪2丁目19
時間
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休日
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拝観料
−
駐車場
−
2016年1月現在
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