名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年4月19日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
和歌山県 > 真田庵 (さなだあん)

城と館

真田昌幸、幸村閉居の地

高野山真言宗。

真田庵



高野山に追放されたが、のちに麓の九度山にて生活した蟄居時代の草庵跡。真田昌幸、最後の地である。

■真田庵
真田庵

真田庵


雷封じの井

真田幸村公碑

慶長年間幸村公が閉居中、眞田屋敷に落ちた雷をとりおさえて、井戸に封じ里人の難を救ったと云う。

「雷封じの井」説明より

■真田安房守昌幸墓地
真田安房守昌幸墓地

説明


真田地主大権現


 信州上田城主であった真田安房守昌幸は、関ヶ原合戦の時、次男幸村と共に西軍に組して戦った。
 戦の後、徳川家康から高野山での謹慎を命じられ慶長5年(1600)に高野山に登り、 間もなく父子共にこの九度山に閉居した。昌幸は、同16年(1611)に死亡(享年65歳)したので、 その屋敷地に葬ったのがこの墓地である。
 その後、幸村は、同19年(1614)に大阪夏の陣に参戦し、その勇猛さはつとに知られている。
 日本史上著名な人物及び事象に関する地として貴重な遺跡である。

「真田安房守昌幸墓地」説明より



住所 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413 善名称院
時間
休日
拝観料
駐車場 有(道の駅 柿の郷くどやま)
2016年4月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.