名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年12月17日

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山梨県 > 穴山玄蕃頭信君屋敷跡(あなやまげんばのかみのぶきみやしきあと)

城と館

信玄・勝頼を補佐した一族

穴山玄蕃頭信君。天文10年〜天正10年6月2日。

穴山玄蕃頭信君屋敷跡

 穴山氏は、甲斐源氏の支流で、穴山を本拠地にしつつ、河内領(南巨摩郡一帯)を支配した強豪。 信君は、穴山信友の子で、生母は信玄の姉南松院殿、正室は信玄の息女見松院であり、極めて重用され たことがわかる。永禄元年(1558)ごろより、父信友に代わって穴山家の取り仕切り、同3年10月 に父が死去すると、正式に家督を相続した。穴山家当主となって、最初に経験した大合戦が、永禄4年 (1561)の川中島の戦いで、この時は武田軍本隊の左翼を守っていた。信君は、今川氏とも親交が深く、 信玄の今川攻めに際しては、今川家臣の調略を担ったという。長篠の合戦で、山県昌景が戦死したため、 駿河江尻城主に就任し、織田・徳川・北条三氏の圧力を防いだ。武田氏滅亡の際は、織田・徳川氏に降伏 し、武田氏の再興を夢見たが果たせないまま、本能寺の変に巻き込まれて死去した。

『穴山玄蕃頭信君屋敷跡』説明より

■穴山玄蕃頭信君屋敷跡
穴山玄蕃頭信君屋敷跡

穴山梅雪


住所 山梨県甲府市大手3丁目1
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年10月現在


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