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− 郷土を旅する歴史団  − 2018年12月17日

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山梨県 > 甲斐惣社 八幡神社(かいそうしゃ はちまんじんじゃ)

城と館

八幡神社

 この神社は、石和五郎信光が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を石和の館に勧請して、国衙八幡宮と称したのが始まりといわれています。 永正16年(1519)に、武田信虎が躑躅ヶ崎に館を築く際に、館の西側に移され府中八幡と称されました。この場所は、 現在の相川小学校の南西部にあたり、旧敷地の一部は同校の体育館敷地となっています。武田氏滅亡後、甲府築城の際に 祈願所ならびに御城鎮守の氏神として現在地へ移され、甲斐惣社八幡宮と呼ばれ、江戸時代を通じて、特別な扱いがされていましまた。

やまなしの歴史文化公園 北山野道 『八幡神社』説明より

甲斐惣社 八幡神社

当社は承久年間(今から780年前鎌倉時代)武田信光(武田家7代目)が鎌倉の鶴ケ岡八幡宮を、信光の館「石和」の地に 勧請誘致して甲斐の国八幡宮と称した。其の後代々武田家の氏神として崇敬して武田信虎(信玄の父)が古府中(甲府)に館を移すと一緒に、神社も 隣地に遷座した。
文禄年間(約400年前)武田家滅亡後、豊臣秀吉の家臣浅野長政が今の甲府城築城に際して古府中相川から「現在の地」に奉遷して 城の鎮守甲斐国総社とした。其の後、徳川家康が甲斐の国の領主になって石高26石社地1万9千坪を寄進して、あらためて城の鎮守国の祈願所として、 領内160社の神職に命じて国家の安全を祈ることを恒例とした。

『営繕之碑』碑文説明より抜粋

■甲斐惣社 八幡神社
甲斐惣社 八幡神社

 

営繕之碑

夢見山伝説

 むかし、武田信虎が現在の夢見山に登ったときの事、急に眠くなり石を枕に寝入ってしまいました。すると、夢に1人の男が現われ 「今、甲斐国主として誕生した男児は、曽我五郎の生まれかわりである」と告げました。間もなく城から若君(後の信玄)誕生の知らせがあり、 喜んだ信虎は勝千代と名づけました。
 ところが、勝千代の右手は握ったまま開きません。心配した信虎が天桂和尚に相談すると和尚も 同じ夢を見ていて、男は「その子の右手には金龍の目貫一辺がある。城東の池で洗えば右手は開く」とつげ、もう一辺の目貫を和尚に渡して 消えました。信虎が言われたとおりにすると勝千代の右手は開き、中から目貫が出てきて和尚のものと符合しました。
 このことからこの山は夢山、または夢見山と名付けられたということです。

やまなしの歴史文化公園 北山野道 『夢見山伝説』説明より



住所 山梨県甲府市宮前町6−47
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年2月現在


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