名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年7月23日

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山梨県 > 原隼人佑昌胤屋敷跡 (はらはやとのすけまさたねやしきあと)

城と館

武田軍の陣場奉行を務めた知将

原隼人佑昌胤屋敷跡。?〜天正3年5月21日。

原隼人佑昌胤屋敷跡

 信虎に仕えた譜代家老原加賀守昌俊(はらかがのかみまさとし)の子で、信玄に登用された。武田軍の 陣立てなどを立案する陣場奉行を命じられたといわれ、また信玄の側近、奉行としても活躍した。信玄の 晩年には、山県昌景とともに、武田家最高職である両識を担ったとされる。父昌俊は、九十騎を率いたが、 昌胤は加増されて百二十騎を指揮していた。天正3年(1575)の長篠の戦いで戦死した。家督は、 二代目隼人佑昌栄(まさひで)が継ぎ、勝頼の側近、奉行となり、駿河国沼津城の普請を行っている。 昌栄は、天正8年(1580)10月、勝頼の上野国東部侵攻に従軍し、膳城(前橋市)攻防戦で重傷を 負い、甲府帰還後に死去した。昌栄の跡は、実弟で昌胤の三男で、三代目隼人佑貞胤が継ぎ、武田氏滅亡の 際には、真田昌幸を頼って落ち延びたといわれる。

『原隼人佑昌胤屋敷跡』説明より

■原隼人佑昌胤屋敷跡
屋敷跡

原昌胤


住所 山梨県甲府市屋形3丁目2
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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