名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年9月24日

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山梨県 > 一条右衛門太夫信竜屋敷跡 (いちじょううえもんたゆうのぶたつやしきあと)

城と館

武田宗家に殉じた一族

一条右衛門太夫信竜。?〜天正10年10月3日。

一条右衛門太夫信竜屋敷跡

 信虎の七男(実は八男)。信玄の異母弟。信竜は、甲斐源氏の名門一条氏の名跡を継ぎ、本拠地を 上野城(市川三郷町)に置いたという。武田氏の一門衆(御親類衆)として、百騎を引率し、信濃の 豪族青柳・与良・大津氏を指揮下に置いて活躍した。信竜は、いざ合戦に際して慌てぬように、常日ごろ から、武具の手入れや更新を怠らなかった。また、諸国の牢人の中から、選抜した人材を召し抱えるよう、 心懸けていた。そのため、信玄や家臣達から賞賛されたという。信玄の晩年には、大和国松永久秀らの 大名との外交を担当し、息子信就(のぶなり)とともに、所領の青柳(増穂町)に新宿を建設にも尽力している。 天正10年(1582)の武田氏滅亡の際には、本拠地上野城に籠城して徳川家康と戦い、信就とともに 市川で処刑されたと伝わる。

『一条右衛門太夫信竜屋敷跡』説明より

■一条右衛門太夫信竜屋敷跡
屋敷跡

一条信竜


住所 山梨県甲府市北新2丁目9
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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