名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年1月23日

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山梨県 > 景徳院 (けいとくいん)

城と館

武田家最後の地

天正10年(1582)3月11日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍と激戦の末、武田家の歴史を閉じた。
同年7月徳川家康公が入国の際、家臣 尾畑勘兵衛に命じて建立されたのがこの寺である。
境内には、勝頼公、北条夫人、信勝公が自害した生害石があり、甲将殿の裏には勝頼公をはじめ将士の墓がある。又、寺の内外には、 鳥居畑古戦場、旗堅の松、土屋惣蔵片手切等がある。

やまなしの歴史文化公園『景徳院』説明より

景徳院

 本史跡は、天正十年三月十一日徳川・織田の連合軍にせめられた武田勝頼一族郎党約五十名が自害した田野の 旧地である。
 武田勝頼は、天正元年父信玄の跡をついで武田氏の当主となった。宿敵織田信長・徳川家康 と、長篠において戦ったが利あらず敗退した。その後新府城を築き再挙を計ったが、天正十年三月再度、織田・ 徳川の軍に侵攻され、小山田氏の岩殿城に走ったがそむかれたので、ついに日川をさかのぼり田野に至って力つき、 主従はここに自害して果てたのである。
 その後、家康入国し、勝頼等一族の菩提を弔うため、僧拈橋を開山として田野寺(現景徳院)を建立した。 現在本境内には、県指定の勝頼主従の墓とその位牌をまつる甲将殿がある。

『景徳院境内』説明より

■景徳院
景徳院本堂

総門

碑と山門

山門

旗堅の松

戦士合祀之墓

武田慕情歌碑

辞世の句碑

勝頼公生害石

勝頼公夫人生害石

信勝公生害石

甲将殿

勝頼公主従の墓

左・信勝、中・勝頼、右・北条夫人


没頭地蔵

辞世

首洗い池

境内案内図


住所 山梨県甲州市大和町田野389
時間
休日
拝観料
駐車場 有(入口にも市営景徳院駐車場がある)
2016年3月現在


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