名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年7月17日

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山梨県 > 高坂弾正忠昌信屋敷跡 (こうさかだんじょうのじょうまさのぶやしきあと)

城と館

信玄の寵臣で『甲陽軍鑑』の作者

高坂弾正忠昌信。大永7年〜天正6年6月14日。

高坂弾正忠昌信屋敷跡

 高坂弾正の名で知られるが、実際には香坂弾正忠虎綱、後に本姓に戻って春日虎綱と称している。 石和の大百姓春日大隅の子で、天文11年(1542)に信玄に見いだされて近習となり、その後、 使番を経て、天文21年(1552)に足軽大将に抜擢された。翌年には小諸城代に、永禄3年( 1560)ごろ海津城代に任命されるなど、異例の出世を遂げた。高坂弾正は、川中島の豪族を 指揮下に置き、上杉謙信の南下に備えた。永禄4年の川中島の戦いなどで活躍した。天正3年の長篠 の戦いで、山県・馬場らの宿将が戦死したことに危機感を覚え、信玄の言動や行動哲学などをまとめた 書物を書き上げ、勝頼の側近達に贈ったといい、これが『甲陽軍鑑』の原本とされる。天正6年 (1578)の謙信死後、上杉景勝と勝頼の同盟交渉を担ったが、実現しないまま病没した。

『高坂弾正忠昌信屋敷跡』説明より

■高坂弾正忠昌信屋敷跡
屋敷跡

高坂昌信


住所 山梨県甲府市大手3丁目2
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年10月現在


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