名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年3月29日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡 (おばたとらもり・まさもり)

城と館
御城印

武田三代に仕えた猛将

小畠山城守虎盛。延徳3年?~永禄4年6月2日。
小幡豊後守昌盛。天文3年~天正10年3月6日。


小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡

 小畠虎盛は、遠江国の出身で、幼少の折に父日浄(にちじょう)とともに武田家に仕え、永正15年 (1518)に父死去により家督を相続し、信虎から騎馬十五騎、足軽七十五人を預かる足軽大将に任じ られたという。信虎・信玄二代の重要な作成のほとんどに参加し、永禄3年(1560)に信濃海津城が 完成すると、高坂弾正の補佐役として在城した。虎盛は、川中島の合戦の直前に病没した。 「よくみのほどをしれ」と子息に遺言したという。
家督は息子昌盛が継ぎ、名字を「小幡」に改め、自ら希望して信玄の旗本となった。武田氏滅亡の際は、 病気のため、勝頼に従うことができず、甲斐善光寺門前で暇乞いをしてまもなく死去した。信玄・勝頼の 事績を描いた、『甲陽軍鑑』の編者小幡景憲(かげのり)は、昌盛の三男である。

『小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡』説明より

■小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡
屋敷跡

小畠虎盛

小幡昌盛


住所 山梨県甲府市大手2丁目4
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.