名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月25日

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山梨県 > 小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡 (おばたとらもり・まさもり)

城と館

武田三代に仕えた猛将

小畠山城守虎盛。延徳3年?〜永禄4年6月2日。
小幡豊後守昌盛。天文3年〜天正10年3月6日。


小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡

 小畠虎盛は、遠江国の出身で、幼少の折に父日浄(にちじょう)とともに武田家に仕え、永正15年 (1518)に父死去により家督を相続し、信虎から騎馬十五騎、足軽七十五人を預かる足軽大将に任じ られたという。信虎・信玄二代の重要な作成のほとんどに参加し、永禄3年(1560)に信濃海津城が 完成すると、高坂弾正の補佐役として在城した。虎盛は、川中島の合戦の直前に病没した。 「よくみのほどをしれ」と子息に遺言したという。
家督は息子昌盛が継ぎ、名字を「小幡」に改め、自ら希望して信玄の旗本となった。武田氏滅亡の際は、 病気のため、勝頼に従うことができず、甲斐善光寺門前で暇乞いをしてまもなく死去した。信玄・勝頼の 事績を描いた、『甲陽軍鑑』の編者小幡景憲(かげのり)は、昌盛の三男である。

『小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡』説明より

■小畠山城守虎盛屋敷跡・小幡豊後守昌盛屋敷跡
屋敷跡

小畠虎盛

小幡昌盛


住所 山梨県甲府市大手2丁目4
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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