名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年7月16日

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山梨県 > 飯富兵部少輔虎昌屋敷跡(おぶひょうぶのしょうとらまさやしきあと)

城と館

信虎・信玄・義信を支えた反骨の老臣

飯富兵部少輔虎昌。?〜永禄8年10月15日。

飯富兵部少輔虎昌屋敷跡

 武田家の譜代家老で、山県昌景の実兄。永正12年(1515)ごろ、家督を相続したが、 享禄4年(1531)に信虎と対立し、御岳に今井・栗原氏らと立て籠もったこともある。 まもなく武田氏に帰服し、信虎追放後は信玄を支えた。信虎・信玄二代の重要な作戦のほとんどに 参加し、活躍した。天文20年(1551)には、信濃国内山城(佐久市)の在番を、同22年 (1553)には塩田城主に、さらに室賀城の在番を歴任し、村上義清や上杉謙信の侵攻に備えた。 永禄5年ごろから、信玄の嫡男義信の傅役となった。信玄と義信が対立すると、虎昌は立場上、 義信を擁護せざるをえず、信玄暗殺に参画したが発覚したため、責任を一身に背負って刑場の 露と消えた。

『飯富兵部少輔虎昌屋敷跡』説明より

■飯富兵部少輔虎昌屋敷跡
屋敷跡

飯富虎昌


住所 山梨県甲府市武田4丁目3
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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