名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年9月23日

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山梨県 > 三枝勘解由左衛門尉守友屋敷跡 (さえぐさかげゆざえもんのじょうもりとも)

城と館

山県昌景も認めた猛将

三枝勘解由左衛門尉守友。天文6年〜天正3年5月21日。

三枝勘解由左衛門尉守友屋敷跡

 三枝氏は、古代以来の甲斐土着の豪族で、鎌倉時代に入って、甲斐源氏の勢力下に入った。守友といわれるが、実名は 昌貞(まささだ)が正しい。父土佐守虎吉(とらよし)とともに、信玄に仕え、守友は奥近習6人の1人に抜擢された。 その後、足軽大将に任じられ、騎馬三十騎、足軽七十人を預けられた。永禄4年(1561)の川中島の戦いで、叔父 三枝新十郎守直(もりなお)が戦死すると、その遺児の養育を行い、遺領や家来も預かるなど、三枝一族の中心人物となった。 同年より信濃に在国して、上杉謙信に備え、さらに甲斐・信濃の武田氏直轄領を管理する代官にも任じられた。守友は武勇でも 知られ、これに感心した山県昌景が、腰刀を授け、山県姓を与え、山県善右衛門と名乗らせたという。天正3年(1575)の 長篠の戦いでは、長篠城包囲軍として姥が懐砦を守備し、酒井忠次軍と戦って戦死した。

『三枝勘解由左衛門尉守友屋敷跡』説明より

■三枝勘解由左衛門尉守友屋敷跡
屋敷跡

三枝守友


住所 山梨県甲府市屋形2丁目2−5
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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