名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年1月22日

名右衛門
更新情報
後北条氏
目次
郷土の歴史を学ぶ
 秋田県
 福島県
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
 新潟県
 長野県
 静岡県
 愛知県
 三重県
 和歌山県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
 岡山県
 広島県
 山口県
 高知県
 福岡県
 長崎県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
北条早雲情報
小田原市ホームページ
管理人 名右衛門について
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 真田弾正忠幸隆屋敷跡 (さなだだんじょうのじょうゆきたか)

城と館

信玄が信頼した知謀の武将

真田弾正忠幸隆。永正10年?〜天正2年5月19日。

真田弾正忠幸隆屋敷跡

 真田氏は、信濃国小県郡を中心に発展した滋野一族の支流で、幸隆は名族海野氏の出身といわれる。実名は幸綱が 正しい。天文10年(1541)に、信玄の父信虎に攻められ、海野棟綱(むねつな)らとともに上野国に亡命したが、 同15年(1546)までに信玄に臣従し、信濃経路に功績があった。信玄が落とせずに敗れた戸石城を、天文20年 (1551)に乗っ取り、村上義清追放のために活躍した。永禄2年(1559)に、信玄にならって自らも出家し、 一徳斎と号した。川中島の戦いや、上野国経路で戦功があり、上野国岩櫃城や白井城などを攻略し、武田氏の上野国 西部制圧を確実なものとした。元亀元年(1570)ごろには家督を嫡男信綱に譲り、天正2年(1574)に病没した。

『真田弾正忠幸隆屋敷跡』説明より

■真田弾正忠幸隆屋敷跡
屋敷跡

真田幸隆


住所 山梨県甲府市大手3丁目4
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2018 naemon All Rights Reserved.