名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月27日

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山梨県 > 武田刑部少輔信廉屋敷跡 (たけだぎょうぶのしょうのぶかどやしきあと)

城と館

文武両道の武将

武田刑部少輔信廉。天文元年〜天正10年3月24日。

武田刑部少輔信廉屋敷跡

 信虎の三男(実は四男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。仮名は孫六で、 元服して刑部少輔の官途を称した。兄信繁とともに、信玄を支え、信濃深志城代や高遠城代を歴任したという。 だが信廉は、武将としての活躍よりも、画家としての実績のほうが著名で、父武田信虎画像(甲府大泉寺所蔵)、 母大井夫人画像(甲府長禅寺所蔵)などを残している。兄信玄の死後、出家して逍遙軒信綱(しょうようけんしんこう)と 称し、勝頼を補佐した。天正5年(1577)からは、信濃大島城代となり、織田・徳川軍の侵攻に備えた。また、 勝頼とともに諏訪大社下社宝塔の建立に携わっている。武田氏滅亡後、織田軍に捕らえられ、甲府の立石(鮎川原とも いわれる)で殺害された。甲府の逍遙院に供養塔がある。

『武田刑部少輔信廉屋敷跡』説明より

■武田刑部少輔信廉屋敷跡
屋敷跡

武田信廉


住所 山梨県甲府市古府中町
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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