名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年1月24日

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山梨県 > 武田典厩信繁屋敷跡(たけだてんきゅうのぶしげやしきあと)

城と館

武田信玄の実弟

武田典厩信繁。大永5年〜永禄4年9月10日。川中島にて戦死した武将。

武田典厩信繁屋敷跡

 信虎の次男(実は三男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。 仮名は次郎(二郎)で、元服して信繁と名乗り、左馬助の官途を称した。この官途の唐名が典厩 であり、左典厩とも呼ばれ、息子典厩信豊と区別するため、後に信繁を古典厩、信豊を新典厩と 呼んだという。信玄を支えて信濃経路で活躍し、ほとんどの作戦に参加した。文人としても優れ、 甲斐を訪れた公卿四辻季遺らと和歌を詠んでいる。永禄元年(1558)4月、息子信豊に、 武田宗家に忠節を尽くすことや、日常生活や戦場での規範を記した九十九ヶ条の家訓を作成して 与えている。そこでは、一条ごとに、中国の古典が根拠として揚げられており、信繁の学調の 高さがわかる。川中島で壮烈な戦死を遂げた。

『武田典厩信繁屋敷跡』説明より

■武田典厩信繁屋敷跡
屋敷跡

武田信繁


住所 山梨県甲府市屋形2丁目1
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年10月現在


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