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− 郷土を旅する歴史団  − 2018年9月24日

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山梨県 > 武田信玄像

城と館

武田信玄

 武田信玄は、大永元年(1521)11月3日甲斐守護信虎の嫡男として生まれた。幼名を太郎といい、 天文5年(1536)で元服、将軍足利義晴の一字をもらって晴信と名乗る。入道して進言を称するのは、 永禄2年(1559)頃からである。
 天文10年(1541)、父信虎を駿河国へ追って甲斐の領主となった信玄は、躑躅ヶ崎館を拠点として 近隣に勢力をのばしていく。その最大領域は、本国甲斐を始めとして、駿河一円、信濃の大半、上野・遠江 ・三河の各数郡さらに美濃・飛騨・越中の一部に及んだ。この広大な領国の形成は、駿河の今川氏、相模の 北条氏、越後の上杉氏などの戦国大名との抗争を通じてなされたものであるが、数ある戦いの中で、特に 天文22年(1553)から永禄7年(1564)にかけて前後5回の対戦があった上杉謙信との川中島の 戦いは著名である。
 信玄は民政の上でも多くの実績を残している。領国経営の拠点としての城下町“甲府”の整備、寄親・寄子 制による家臣団の編成、「甲州法度之次第」(信玄家法ともいう)の制定、信玄堤の築造などの治水事業、 黒川金山(塩山市)などの金山の開発と甲州金の鋳造、甲州桝の制定、棒道の建設など道路・伝馬制度の整備 、等といった各方面にわたる幅広い活動によって富国強兵を図った。その多くは、今も信玄の偉業として 人々に語り伝えられている。
 元亀3年(1572)10月3日、信玄は最後の征途についた。12月22日には遠江の三方ヶ原 で徳川家康を破り、士気大いに上ったが、病すでに重く、翌年4月12日帰国途中の信州駒場(下伊奈郡阿智村)で 死去した。時に53才。塩山市の恵林寺と甲府市岩窪町に墓が残る。

『武田信玄』説明より

武田信玄像

 われわれ山梨県民がひとしく敬仰してやまない、甲斐の生んだ乱世の智将武田信玄公はただ戦略にひいでていた ばかりではなく、その民政においても抜群の力量を示し、甲斐の国こんにちの基礎を築かれた偉大な英雄であることは、 今さらうんぬんの要はありません。
 この崇高な人物をたたえ、遺徳をしのんで、よりよい山梨の建設に直進しようとする意気を高揚する意味 から「武田信玄公奉賛会」を設立し、公の銅像を建立しようと企てました。
 信玄公を尊崇する県内外諸名士各位の熱烈なご理解とご協力を得ましたので県民の最も多くの目にふれ 親しみ深いこの地を選び建立した次第であります。

『武田信玄像』銘板より抜粋

■武田信玄像
武田信玄像

外観

説明

説明


住所山梨県甲府市丸の内1丁目1−9
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年10月現在


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