名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月20日

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山梨県 > 山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡 (やまがたさぶろうひょうえのじょうまさかげ)

城と館

武田軍の赤備えを組織した猛将

山県三郎右兵衛尉昌景。?〜天正3年5月21日。

山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡

 昌景は、武田家の譜代家老飯富氏の出身で、虎昌の弟。弘治2年(1556)ごろには、武田信玄の側近および奉行として 活躍している。永禄8年(1565)に、兄虎昌が義信事件に連座して処刑されると、信玄の命により、名門山県氏の名跡を継ぎ、 兄虎昌の配下をはじめとする百騎を預かり、譜代家老に連なった。信玄の主要な作戦には、必ず参加を命じられ、川中島の戦いや 関東侵攻、駿河侵攻などで、戦功があり、山県隊は装備を赤で統一していたことから、山県の赤備えと呼ばれたという。元亀2年 (1571)に、駿河江尻城主(静岡市)に就任し、駿河・遠江の領主を指揮下に置き、織田・徳川氏を監視する役割を担った。 長篠の戦いでは、徳川軍と激戦を展開し戦死した。

『山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡』説明より

■山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡
屋敷跡

山県昌景


住所 山梨県甲府市大手2丁目4
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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