名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年4月22日

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山梨県 > 山本勘助晴幸屋敷跡(やまもとかんすけはるゆきやしきあと)

城と館

信玄を補佐した隻眼の軍師

山本勘助晴幸。?〜永禄4年9月10日。川中島にて戦死。

山本勘助晴幸屋敷跡

 三河国牛窪出身の牢人で、諸国を遍歴し兵法や築城術を会得したが、隻眼となり、片足も 不自由になったという。天文5年(1536)に、駿河国今川義元に仕官しようとするが、 実現しなかった。天文12年(1543)、勘助の噂を聞きつけた板垣信方の推薦で、 信玄に召し抱えられ、足軽大将となる。戸石城攻防戦などの合戦で、目覚ましい活躍をし、 武田家中では、軍神摩利支天のようだと称えられた。内政、軍略、築城術に関する信玄の諮問 に答え、さまざまな意見を具申する軍師として、重用された。信玄の出家とともに剃髪して、道鬼 斎(どうきさい)と称した。勘助の築城術は、後に馬場信春に伝授され、甲州流、山本勘助道鬼流 と呼称されたという。永禄4年(1561)の川中島の戦いで、上杉謙信撃滅の秘策として 「啄木鳥の戦法」を進言するが失敗し、責任を痛感して、戦乱の中に身を投じて戦死した。

『山本勘助晴幸屋敷跡』説明より

■山本勘助晴幸屋敷跡
山本勘助晴幸屋敷跡

山本勘助


住所 山梨県甲府市古府中町 第2公園
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年10月現在


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