名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月7日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
愛知県 > 織田信長戦地本陣跡

城と館
御城印

長篠設楽原の戦いの織田信長の本陣

天正3年5月、上平井の極楽寺から茶臼山に本陣を移す。

 

織田信長戦地本陣跡

天正3年(1575)、長篠・設楽原の戦いに臨んだ織田信長は、設楽原の決戦を控えて 上平井の極楽寺で軍議をひらき、武田軍の騎馬隊攻略の作戦を練った。 そして、自らは、この茶臼山に進撃し、本陣をおいて指揮をとった。 このすぐ北側には、側近、羽柴秀吉を従え、徳川家康を最前線の弾正山に配置した。 夫人は、当時の信長の権力の絶大さを示しているといえよう。ここには、珍しい信長の歌碑がある。

「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」

『織田信長戦地本陣跡』説明より

■織田信長戦地本陣跡
PA下り側入口

本陣外観

新城市を望む

茶臼山稲荷神社

説明

織田信長の歌碑

説明


住所愛知県新城市牛倉城山
時間
休日
拝観料
駐車場有(長篠設楽原PA下り)
2020年6月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.