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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年4月15日

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愛知県 > 聖徳寺跡

城と館
御城印

織田信長と齋藤道三の会見場所

天文22年(1553)に二人が会ったと云われる寺院跡

 

聖徳寺跡

聖徳寺は、はじめ尾張国葉栗郡(のちの美濃国羽栗郡)大浦郷(岐阜県羽島市)にあり、洪水や戦火で移転を繰り返したといいます。 寺伝などによると、のち尾張国中島郡苅安賀(一宮市)へ、再び大浦へ戻り、その後ここ中島郡冨田へ移りました。 聖徳寺は、戦国時代の永正年間(1504~1521)にこの地に移ったといい、天文年間(1523~1555、天文18年と21年と22年の3説) に尾張の織田信長と美濃の斎藤道三が会見した寺として知られています。道三は、信長に娘の帰蝶(濃姫)を嫁がせており、信長が「大うつけ」かを確かめるために会見を申し入れました。 信長は、うわさ通りのうつけ者の姿で聖徳寺にあらわれましたが、正装に改めて会見に臨みました。道三はこの会見で信長の力量を知り、ふたりの同盟は確かなものになりました。 信長にとって、歴史の表舞台へ出るきっかけとなった大きな出来事だったといえます。 また、後年には豊臣秀吉の加賀野井城や竹鼻城攻めの本陣にもなりました。その後、美濃国羽栗郡三屋(岐阜県笠松町)、尾張国春日井郡清須(清須市)を転々とし、 さらに名古屋の東寺町(のち東門前町)から松本町(のち富沢町、中区錦)へと移転し、現在は守山区白山の七宝山聖徳寺と天白区八事山の八事山聖徳寺の2ヶ所に分かれています。

『聖徳寺跡』説明より

■聖徳寺跡


住所一宮市冨田字大堀413-5
時間
休日
拝観料
駐車場
2020年6月現在


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