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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月4日

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岐阜県 > 明智城

城と館
御城印

土岐桔梗 明智城

長山城ともいわれ康永元年(1342)明智次郎長山下野守、頼兼により開城。11代明智光秀まで215年 弘治2年(1556)斎藤義龍により落城。

『明智城』碑より 

         
2020/12 EXPO
明智城

 可児市は、戦国時代の悲運の武将「明智光秀」の誕生の地である。康永元年(1345年)に美濃源氏の土岐下野守頼兼が名字を「明智」と改めて、 初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の当地に明智城を築城した。
 以来、およそ215年、ここに山城を構えていたが、弘治2年(1556年)に当時の美濃国の支配者、斎藤道三とその子の義龍の争いに巻き込まれ、義龍に攻められて落城。最後の城主であった光秀は、 城の脱出に成功して明智家を再興したが、ここへは戻らず、彼の死後も、再びここに築城されることなく明治維新を迎えた。
 城は自然の地形をうまく利用した典型的な中世の山城で、この山の中央主峰、標高175米の頂上に本丸を築き、ここを中心としていくつかの別の峰に小城塞、見張り台、城郭施設を配置させてあったと考えられる。
 居館跡には「光秀産湯の井戸」と伝承されている井戸があり、当時使用されていた土器破片が出土している。また、出丸付近には、落城の際の戦没者を葬った「七ツ塚」がある。
 昭和48年には一族の供養塔「六親眷属幽魂塔」が発見されている。

『明智城址』説明より

■明智城
明智城

本丸跡


明智城之記

散策地マップ

七つ塚(裏)

七つ塚(表)
 明智城が落城した時に亡くなった7人の武将を祀ってある塚です。(塚が7つあります)
  溝尾庄右衛門
  三宅武部之助
  藤田藤次郎
  肥田玄蕃
  池田織部
  可児才右衛門
  森勘解由



大手門

説明

明智光秀像

明智荘説明


住所岐阜県可児市瀬田1238−3
時間
休日
拝観料
駐車場有(花フェスタ 駐車場)
2020年6月現在


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