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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月26日

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岐阜県 > 明知陣屋跡

城と館
御城印

江戸時代の陣屋

関ヶ原合戦以降、遠山家の本拠地となる。

 

明知陣屋跡

地元では敬意を込めて「御陣屋」と呼ばれています。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で、白鷹城を奪還した遠山利景は、慶長8年(1603年)恵那・土岐郡内で、6531石を拝領することになりました。元和元年(1615年)江戸幕府は一国一条令を発令しますが、白鷹城もこのころ廃城になりました。
その後の支配拠点となったのが、この明知陣屋です。遠山氏は領内と江戸の間を参勤交代する交代寄合の旗本となりましたが、延宝6年(1678年)以降は、江戸定府となりました。以後、陣屋は明治初年まで代官村上氏によって管理されることになりました。 江戸後期の陣屋の内部には、村上氏の屋敷のほか、明知詰の家臣の住宅が建ち並んでいました。
明知陣屋は白鷹城西側山麓近くに築かれており、正面には水堀が配置され、周囲には垣根を巡らせていました。北辺と東辺には土塁が設けられています。土塁の西端、稲荷社の北西には馬場がありました。 水堀と水堀の間の土橋を抜けると御門があり、ここが正門です。最奥部には木戸が構えられ、白鷹城の大手道は、ここから通じていたと考えられます。この木戸の手前には的場がありました。また、近くの「御池」と呼ばれている池は、江戸前期に遠山氏の 御殿があったころの庭園の名残と推定されています。

『明知陣屋跡』説明より

■明知陣屋跡
明知陣屋跡

説明



住所岐阜県恵那市明智町
時間
休日
拝観料
駐車場有(岐阜公園堤外駐車場)310円/日
2020年6月現在


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