- 日本郷土の歴史を学ぶサイト -
2024年10月4日
更新情報
・
御城印
目次
・
郷土の歴史を学ぶ
北海道
北海道
東北
青森県
秋田県
岩手県
山形県
宮城県
福島県
関東
栃木県
群馬県
茨城県
千葉県
埼玉県
東京都
神奈川県
山梨県
信越
新潟県
長野県
北陸
富山県
石川県
福井県
東海
静岡県
愛知県
岐阜県
近畿
和歌山県
三重県
滋賀県
京都府
大阪府
奈良県
兵庫県
中国
鳥取県
岡山県
島根県
広島県
山口県
四国
香川県
徳島県
愛媛県
高知県
九州
福岡県
大分県
佐賀県
長崎県
熊本県
宮崎県
鹿児島県
沖縄
沖縄県
・
家系図調査
(ID/PASS)
リンク集
・
志士伝
・
北条早雲情報
・
名右衛門とは
・管理人の紹介
勉強中の管理人に
メール
を送信する
岐阜県
>
明知陣屋跡
城と館
御城印
江戸時代の陣屋
関ヶ原合戦以降、遠山家の本拠地となる。
明知陣屋跡
地元では敬意を込めて「御陣屋」と呼ばれています。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で、白鷹城を奪還した遠山利景は、慶長8年(1603年)恵那・土岐郡内で、6531石を拝領することになりました。元和元年(1615年)江戸幕府は一国一条令を発令しますが、白鷹城もこのころ廃城になりました。
その後の支配拠点となったのが、この明知陣屋です。遠山氏は領内と江戸の間を参勤交代する交代寄合の旗本となりましたが、延宝6年(1678年)以降は、江戸定府となりました。以後、陣屋は明治初年まで代官村上氏によって管理されることになりました。 江戸後期の陣屋の内部には、村上氏の屋敷のほか、明知詰の家臣の住宅が建ち並んでいました。
明知陣屋は白鷹城西側山麓近くに築かれており、正面には水堀が配置され、周囲には垣根を巡らせていました。北辺と東辺には土塁が設けられています。土塁の西端、稲荷社の北西には馬場がありました。 水堀と水堀の間の土橋を抜けると御門があり、ここが正門です。最奥部には木戸が構えられ、白鷹城の大手道は、ここから通じていたと考えられます。この木戸の手前には的場がありました。また、近くの「御池」と呼ばれている池は、江戸前期に遠山氏の 御殿があったころの庭園の名残と推定されています。
『明知陣屋跡』説明より
■明知陣屋跡
明知陣屋跡
説明
堀
住所
岐阜県恵那市明智町
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
有(岐阜公園堤外駐車場)310円/日
2020年6月現在
Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.