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2024年12月4日
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御城印
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龍護寺
城と館
御城印
遠山家菩提寺
臨済宗妙心寺派。大明山 龍護寺。
龍護寺
大永元年(1521)ここ塔仙坊に楞厳院という草庵があり、拍庭和上が住んでいた。 この人は京都妙心寺にいたが、三河旭村の三玄寺を経て当地に落ち着いたといわれている。
慶長元年(1596)明智城主利景は、城の北に浄地を選んで禅刹一宇を建立。そして楞厳院を改め龍護寺とした。この時の和尚掾室がいわゆる中興の開山である。 建立の直後、覚岩和尚が法嗣をついで第一世となった。この時以来、龍護寺は代々遠山累代の墓がある。
寺の本堂横に遠山氏累代の墓がある。
また山門入口右手に、光秀公の供養塔と伝えられる碑が建っているが、光秀公に関する碑は「悲痛な想い」でことごとく割れるといった通説の通り、 斜めに大きくひび割れが入っている。
また龍護寺には九条衣の伝承がある。
これはその昔、或る夜 落武者が訪れ、無念の主君光秀公の直垂を持参し、永代供養を乞うて去った。それ以来、九条衣と称ばれる袈裟の四隅に、この光秀公の直垂の布が 縫いこまれ、寺宝として伝えられている。
『龍護寺』説明より
■龍護寺
説明
明智光秀公御霊廟
住所
岐阜県恵那市明智町東山町1389−1
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2020年6月現在
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