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2024年10月4日
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沼田城跡
(ぬまたじょうあと)
城と館
御城印
真田信之の城
戦国時代、沼田氏が築城。
2020/12 EXPO
沼田城跡
沼田城は、天文元年(1532)に三浦系沼田氏12代万鬼斎顕泰が約3ヶ年の歳月を費やして築いた。 当時蔵内(倉内)城と称し、沼田市街地発祥のかなめで、当市の歴史の起点でもある。
築城して48年後の天正8年(1580)武田勝頼の武将真田昌幸が入城し、城の規模を広げた。 天正18年(1590)昌幸の長子信幸が沼田領2万7千石の領主となり、慶長年間に五層の天守閣を建造した。 天和元年(1681)に真田氏5代城主伊賀守が徳川幕府に領地を没収され、翌2年1月に沼田城は幕府の命に より破壊された。その後、本多氏が旧沼田領177ヶ村のうち46ヶ村・飛地領合わせ4万石の藩主として入封し、 幕府の交付金で城を再興し三の丸に屋形を建てた。次いで、黒田氏2代、土岐氏12代の居館となったが、 明治になって版籍奉還し屋形も取り壊された。時を経て本丸。二の丸跡が、現在の沼田公園に変貌した。
『沼田城跡』説明より
■沼田城跡
沼田城跡
鐘楼
説明
沼田城本丸堀跡
西櫓台の石垣・石段
■真田信之と小松姫の像
信之と小松姫
住所
群馬県沼田市西倉内町594
時間
-
休日
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拝観料
-
駐車場
有
2016年7月現在
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