名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2026年10月13日

名右衛門
更新情報
・ 御城印
・ 城巡り
目次
・ 郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
・ 家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
・ 志士伝
・ 北条早雲情報
管理人 ・名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
京都府 > 足利尊氏邸・等持寺跡(あしかがたかうじ てい)

城と館
御城印

室町幕府発祥の地
足利尊氏の終焉の地

足利尊氏邸・等持寺跡

 京都府保険事業協同組合・保事協会館のあるこの付近は、室町幕府初代将軍 足利尊氏(1305~1358)の「三条坊門第」(「二条万里 小路第」)のあったところである。尊氏邸の範囲については諸説あるが、二条大路、三条坊門小路(御池通)、万里小路(柳馬場通)、高倉小路に囲まれた南北250m、東西120mの土地を占めていた と考えるのが最も合理的であろう。尊氏はこの邸宅で政務をとり、延文3年(1358)にはここで薨じた。この地は、後に「室町幕府」と呼ばれた政権の発祥の地であったわけである。
 後にこの邸宅は「等持寺」という寺院に改められた。尊氏は3つの寺院を建てることを願ったが果たせず、そのため「等持寺」という文字の中には3つの「寺」の字が含まれることになったと伝えられている。 等持寺は足利氏の菩提寺として崇敬を集め、室町時代の政治・文化に大きな役割を果たした。しかし、応仁・文明の大乱(1467~77)以降は次第に衰退し、結局は別院であった等持院(北区)に合併 されてしまった。近辺に残る「御所八幡宮」は、尊氏邸・等持寺の鎮守社であったという。
 なお、この地は平安京の条坊表示では左京三条四坊七町にあたり、歌人として著名な右大臣 藤原定方 (873~932)の邸宅「大西殿」があったことでも知られている。後にこの邸宅は冷泉天皇皇后 昌子内親王(950~999)の御所となった。紫式部が『源氏物語』で描く藤壺中宮とその御所三条宮は、 昌子内親王と大西殿をモデルのひとつとした可能性が高い。

『足利尊氏邸・等持寺跡』説明より抜粋

■足利尊氏邸・等持寺跡
足利尊氏邸跡
住所京都府京都市中京区柊町
時間-
休日-
拝観料-
駐車場無
2020年12月現在


Copyright (C) 2008-2026 naemon All Rights Reserved.