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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年4月15日

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京都府 > 足利尊氏邸・等持寺跡(あしかがたかうじ てい)

城と館
御城印

室町幕府発祥の地
足利尊氏の終焉の地

足利尊氏邸・等持寺跡

 京都府保険事業協同組合・保事協会館のあるこの付近は、室町幕府初代将軍 足利尊氏(1305~1358)の「三条坊門第」(「二条万里 小路第」)のあったところである。尊氏邸の範囲については諸説あるが、二条大路、三条坊門小路(御池通)、万里小路(柳馬場通)、高倉小路に囲まれた南北250m、東西120mの土地を占めていた と考えるのが最も合理的であろう。尊氏はこの邸宅で政務をとり、延文3年(1358)にはここで薨じた。この地は、後に「室町幕府」と呼ばれた政権の発祥の地であったわけである。
 後にこの邸宅は「等持寺」という寺院に改められた。尊氏は3つの寺院を建てることを願ったが果たせず、そのため「等持寺」という文字の中には3つの「寺」の字が含まれることになったと伝えられている。 等持寺は足利氏の菩提寺として崇敬を集め、室町時代の政治・文化に大きな役割を果たした。しかし、応仁・文明の大乱(1467~77)以降は次第に衰退し、結局は別院であった等持院(北区)に合併 されてしまった。近辺に残る「御所八幡宮」は、尊氏邸・等持寺の鎮守社であったという。
 なお、この地は平安京の条坊表示では左京三条四坊七町にあたり、歌人として著名な右大臣 藤原定方 (873~932)の邸宅「大西殿」があったことでも知られている。後にこの邸宅は冷泉天皇皇后 昌子内親王(950~999)の御所となった。紫式部が『源氏物語』で描く藤壺中宮とその御所三条宮は、 昌子内親王と大西殿をモデルのひとつとした可能性が高い。

『足利尊氏邸・等持寺跡』説明より抜粋

■足利尊氏邸・等持寺跡
足利尊氏邸跡
住所京都府京都市中京区柊町
時間
休日
拝観料
駐車場
2020年12月現在


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