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京都府 > 福知山城(ふくちやまじょう)

城と館
御城印

明智光秀の城

丹波を平定後、明智光秀が築城した城。

         
2020/12/05
福知山城

 福知山のまちは、天正7年(1579)に丹波を平定した明智光秀が城を築き、城下町整備に着手したことではじまったものと伝えられ、 福知山城も光秀ゆかりの城として知られています。城は明治の廃城令により本丸・二ノ丸の建物が取り壊され堀も埋められ、天守閣周辺の石垣しか残されていませんでした。しかし、昭和61年に市民の熱い想いで 天守閣が再建され、福知山の美しい四季を背景に往時の姿をしのばせています。
 城地は市街地の南から北東に向かって突き出した丘陵上(標高約40m・幅約100m)に位置し、周囲を由良川・土師川、 丘陵で四方を守られた要地にあります。中世には天田郡の豪族、塩見氏がこの地に横山城と称する山城を築いたといわれています。
 丹波を平定した光秀は、福知山城の縄張りを行い、治政に反攻的な近隣社寺を 打ち壊し、石塔類を天守台の石垣に利用したと伝えられています。一方ではこれらの石塔は城のお守りとしたのではないかとも言われています。天守の一部は、城再建時の発掘調査の成果や石垣の特徴から、 光秀の時代に造られたことが確認されています。

『福知山城と城下町』説明より抜粋

■福知山城
天守閣
1501
-1521
文亀
-永正年間
塩見(横山)氏が、天田郡に移住し勢力を拡大し、大膳太夫頼勝の子 頼氏が、曽我井の地に横山城を築造したという。
1565 永禄8年 丹波黒井城主 赤井(荻野)直正が、横山城の塩見氏を滅ぼしたという。
1575 天正3年 織田信長、明智光秀に丹波・丹後の平定を命ずる。明智光秀、荻野直正が籠もる氷上郡 黒井城を包囲する。
1576 天正4年 多紀郡の波多野秀治の軍が裏切り、光秀は撤退する。
1578 天正6年 荻野直正病死。明智光秀、波多野秀治が籠もる八上城を取り囲む。
1579 天正7年 明智光秀、八上城を落とす。鬼ケ城を攻める。赤井氏が籠もる黒井城を落とす。織田信長に丹波平定を復命する。
1580 天正8年 明智光秀、天寧寺(福知山市)の諸式を免許し、陣取・竹木伐採等を禁止する。織田信長、明智光秀に丹波を所領として与える。明智光秀、この頃、横山の地に城館をたて福知山と命名したという。 明智秀満を城代に任命する。
1581 天正9年 明智秀満、福知山城で津田宗及、明智光秀、細川藤孝・忠興を振舞う。明智光秀、家中軍法を定める。明智秀満、光秀が天寧寺へ出した判物の内容を確認する。
1582 天正10年 明智光秀。京都本能寺にて織田信長を討つ、まもなく山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ討たれる。羽柴秀吉、丹波・丹後付近の光秀横領の地を細川藤孝の知行地として認める。 明智光秀死後、福知山城を羽柴秀長の家臣 桑山重晴・青木一矩が管理したという。
1584 天正12年 この頃、杉原家次、近江坂本城から福知山城に入る(天正11~12年頃)。杉原家次、死去。田中吉政、福知山城に入ったと思われる。
1587 天正15年 この頃、小野木重勝、福知山城主となる。
1600 慶長5年 関ヶ原の合戦で西軍に属した小野木重勝は、田辺城に籠もる東軍の細川氏を攻めたが敗れ自害する。有馬豊氏が遠江国横須賀から60,000石をもって福知山城主となる。
1620 元和6年 有馬豊氏、久留米へ転封する。
1621 元和7年 岡部長盛、丹波亀山から50,000石で福知山に入る。
1624 寛永元年 岡部長盛、美濃国大垣へ移る。稲葉紀通、摂津国中島から45,000石で福知山に入る。
1648 慶安元年 稲葉紀通、城内で自害する。
1649 慶安2年 松平忠房、三河国刈谷から45,900石で福知山に入る。
1669 寛文9年 松平忠房、肥前国島原へ移る。朽木種昌、常陸国土浦から32,000石で福知山に入る。以降、幕末まで続く。
1873 明治6年 廃城令によって解体。
1985 昭和60年 小天守と続櫓が完成。
1986 昭和61年 大天守が完成。








豊磐井(とよいわ の い)


二ノ丸跡

銅門跡

西の櫓跡

東側(JR山陰本線から望む)

西側(JR山陰本線から望む)


住所京都府福知山市内記2−13
時間
休日
拝観料
駐車場
2020年12月現在


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