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2024年10月4日
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御城印
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本能寺址(ほんのうじ あと)
城と館
御城印
本能寺の変の舞台
織田信長の終焉の地
本能寺址
応永22年(1415)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して 「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元年(1429)小袖屋宗句の外護により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。 その後、天文5年(1536)天文法乱によって焼失。天文14年(1545)第8世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院の此の地に移転、壮大なる堂宇の再興を見た。然るに天正10年 (1582)彼の「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正17年(1589)この地に再建せんとし、上棟式の当日、豊臣秀吉より鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜらる。 一山の大衆声を放って号涙すと。因みに本能寺は度々火炎に罹りたるをもって「ヒヒ」と重なるを忌み、能の寺を特に「去」と書くのが慣わしである。
『本能寺跡記』説明より
■本能寺址
本能寺址
老人ホーム西側
老人ホーム北東
住所
京都府京都市中京区元本能寺南町
時間
-
休日
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拝観料
-
駐車場
無
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