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2024年11月21日
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山名宗全邸宅跡(やまなそうぜん ていたくあと)
城と館
御城印
応仁の乱の西軍
山名宗全の陣があった場所を西陣と呼ぶようになる。
山名宗全邸宅跡
山名宗全は応永11年(1404)、但馬国(現在の兵庫県北部)出石に生まれ、名を持豊といい、後に出家して 宗全と称したが、赤ら顔であったので「赤入道」とも呼ばれた。但馬をはじめ12箇国の守護職を兼ね、当時全国は60余州あったことから「六分の一殿」とも呼ばれた。
子供がなかった室町幕府の8代将軍・足利義政は、弟・義視を後嗣にしようとしたが、その後、義政の夫人・日野富子に義尚が生まれたため、将軍職をめぐる後継者争いが起こり、 守護大名のお家騒動も絡み合い「応仁の乱」へと発展した。義尚を擁する宗全は、この邸宅を本陣として、室町今出川の「花の御所(足利家の住宅・室町幕府)」に陣を置く 義視方の細川勝元と東西に分かれて11年間に及ぶ戦いを繰り広げた。このため京の町の大半は焦土と化した。この情景を詠んだ歌に次のようなものがある。
なれや知る 都は野辺の 夕雲雀
あがるをみても 落つる涙は
この地にあった山名家代々の邸宅も焼失し、宗全は文明5年(1473)、陣中で没した。このあたり一帯を「西陣」と呼ぶのは、山名宗全率いる西軍が陣をおいたことによる。
なお、宗全の墓は南禅寺の真乗院にある。
『山名宗全邸宅跡』説明より
■山名宗全邸宅跡
山名宗全邸宅跡
70m東にある碑
住所
京都府京都市上京区山名町799
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2020年12月現在
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