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長崎県 > いろは丸事件の談判場所・聖福寺
坂本龍馬、故縁の地
いろは丸事件の談判場所・聖福寺 |
慶応3年(1867)5月22日、いろは丸事件の談判が、この聖福寺で行われました。4月23日、坂本龍馬らが乗った「いろは丸」は、瀬戸内海で紀州藩船「明光丸」と衝突・沈没。その賠償交渉が鞆(とも)の浦(福山市)と長崎で行われ、龍馬は土佐藩士・後藤象二郎とはかり、紀州藩に賠償金8万3000両(のちに7万両に減額)を支払わせることで決着しました。このとき龍馬は世論を味方にするため「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」という歌をつくり、長崎の街中に広めたと言われています。
『聖福寺 板碑より』
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■いろは丸事件の談判場所・聖福寺
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いろは丸事件の談判場所・聖福寺 |
説明 |
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住所 | 長崎県長崎市玉園町3-77 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2013年10月現在 |
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