名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2026年10月20日

名右衛門
更新情報
・ 御城印
・ 城巡り
目次
・ 郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
・ 家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
・ 志士伝
・ 北条早雲情報
管理人 ・名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
長崎県 > いろは丸事件の談判場所・聖福寺

城と館

坂本龍馬、故縁の地



いろは丸事件の談判場所・聖福寺

 慶応3年(1867)5月22日、いろは丸事件の談判が、この聖福寺で行われました。4月23日、坂本龍馬らが乗った「いろは丸」は、瀬戸内海で紀州藩船「明光丸」と衝突・沈没。その賠償交渉が鞆(とも)の浦(福山市)と長崎で行われ、龍馬は土佐藩士・後藤象二郎とはかり、紀州藩に賠償金8万3000両(のちに7万両に減額)を支払わせることで決着しました。このとき龍馬は世論を味方にするため「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」という歌をつくり、長崎の街中に広めたと言われています。
 

『聖福寺 板碑より』

■いろは丸事件の談判場所・聖福寺
いろは丸事件の談判場所・聖福寺

説明


住所長崎県長崎市玉園町3-77
時間-
休日-
拝観料-
駐車場-
2013年10月現在


Copyright (C) 2008-2026 naemon All Rights Reserved.