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2024年10月7日
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御城印
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曳馬城
城と館
御城印
室町時代の城
今川氏が築いたとも云われている。
曳馬城
鎌倉時代の浜松は、「ひきま(ひくま)」と呼ばれる町でした。現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しました。「船越」や「早馬」はこの頃の地名です。
戦国時代、この町を見下ろす丘の上に引間城が築かれます。歴代の城主には、尾張の斯波方の巨海(こみ)氏・大川内氏、駿河の今川方の飯尾氏などがおり、斯波氏と今川の抗争の中で、 戦略上の拠点となっていきました。この時代の浜松には、同じ今川方で、少年時代の豊臣秀吉が初めて仕えた松下加兵衛(頭陀寺城主)がいました。松下氏に連れられて、秀吉は引間城を訪れています。
徳川家康が最初に居城としたのもこの城です。元亀3年(1572)、武田信玄との三方ヶ原の戦いに、家康は「浜松から撤退するくらいなら武士をやめる」という強い覚悟で臨みましたが、 引間城の北口にあたる「玄黙(元目)口」へ撤退したと言われています。このころまで引間城が重要な拠点だったことがわかります。
その後、城主となった豊臣系の堀尾吉晴以降、浜松城の増改築が進むにつれ、引馬城は城の主要部から外れ、「古城」と呼ばれて米蔵などに使われていました。 メイジ9年、旧幕臣・井上延陵が本丸跡に家康を祭神とする元城町東照宮を勧請し、境内となっています。
『引間城本丸跡』説明より
■曳馬城
曳馬城跡碑
元城町東照宮
曳馬城外観(東照宮外観)
曳馬城跡碑(2014/8)
元城町東照宮(2014/8)
徳川家康公・豊臣秀吉公
住所
静岡県浜松市中区元城町111-2 (東照宮)
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2017年4月現在
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