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2024年11月21日
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井伊谷宮
城と館
御城印
後醍醐天皇第四皇子、宗良親王
御祭神:宗良親王 例祭日:9月22日
井伊谷宮
御祭神宗良親王(後醍醐天皇第四皇子・宮内庁調)は今より約650年前の南北朝時代に一品中務卿政東として、この地を本拠に 50年余の間、吉野朝のためにご活躍になられました。
その間 遠江 駿河 三河 甲斐 信濃 越後 上野 美濃等に軍を進められ、信濃宮・上野宮・越中宮と尊称され、晩年再びこの地を 訪ねられ元中2年8月10日御年73才にて薨去せられました。御墓は本殿背後に西に向ってたてられており宮内庁所管地であります。
明治元年明治天皇より当宮創立の勅旨が仰出され同5年2月12日御鎮座、同6年6月9日勅裁を以って官幣中社に列せられました。 親王は武のみならず和歌に秀で、その苦難な御生涯の中であっても歌集「李花集」をのこされ又、準勅選和歌集「新葉和歌集」の編纂など 文化の面でも御功績をのこされました。親王のどんな逆境に陥っても不撓不屈初志を貫き、希望を捨てずひたすら正義のために一生を 捧げられた御精神、御遺徳は多くの人達に慕われ学問・心願成就・開運の神と信仰され尊ばれております。
『井伊谷宮「由緒」』より
■井伊谷宮
井伊谷宮
■井伊社
井伊社
御祭神 贈従四位 井伊介政
贈正四位 井伊新介高顕
例祭日 9月22日
<由緒>
井伊道政公とその子高顕公は井伊谷宮御祭神 宗良親王を当地井伊谷にお迎へ致し、終始一貫親王及び御子尹良親王を輔佐し忠勤を励まれました。 御祭神は幕末に桜田門外に散った井伊大老の祖であります。
命じ年、神祇省により宗良親王との御縁故により格別の思召を以って摂社として祀られています。
『摂社 井伊社(いいしゃ)「由緒」』より
■宗良親王 御墓
井伊谷宮
明治時代に入って間も無く、明治天皇は全国の御陵墓が荒廃著しいことを憂い、その修繕整備をお命じになられました。 それと共に王政復古の象徴として吉野朝(南朝)方を支えた貢献者を祀る神社を創建するよう勅命を下されました。
これに伴い、後醍醐天皇皇子宗良親王薨去の後、およそ五百年に亘り代々その菩提を弔ってきた井伊家の当主、井伊中将直憲 (彦根藩最後の藩主)が、親王を御祭神とする井伊谷宮の創建と親王御墓の修繕を願い出たところ、井伊家の祖 道政公と親王との 特別な由緒をもって許可され、いずれもほぼ井伊家の負担にてなされました。
このようにかつて井伊直虎を輩出した井伊家は井伊谷宮とも深い関わりを持っています。
『宗良親王 御墓』説明より
住所
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷(いなさまちいいのや)1989
時間
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休日
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拝観料
-
駐車場
有
2017年4月現在
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